先日の読書感想文で書く意欲がまた出てきたので、再開します!
前置きめんどくさいので、早速行きます!!
フレンキー・デヨングの3シーズンを振り返る
現在、マンチェスターユナイテッドへの移籍が取り沙汰されるフレンキー・デ・ヨング。割と大きいメディアや著名な記者も報じており、少なくとも「ユナイテッドが彼を欲しがっていること」と「財政的な理由からバルサが彼の放出を真剣に考えていること」は事実なのではないでしょうか。
▫️ Agreement more than close since Monday between Man United and Barcelona for Frenkie de Jong on €65m fixed fee, but €20m add-ons structure to be discussed... and then personal terms;
— Fabrizio Romano (@FabrizioRomano) 2022年7月2日
▫️ Lisandro Martínez: bid set to be submitted.
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この騒動の結末がどうなるのかは分かりません。移籍決定は近づいているように感じますが、当のフレンキーはバルセロナ残留を強く望んでいるとの見方が強いです。まだ分かりません。ただ、少なくともバルサ側がフレンキーの売却に前向きであることは多分間違いないと思います。
僕は情報通ではないので、実際にフレンキーが移籍する確率はどれくらいなのか!を論ずることはできません。なので、バルサがフレンキーを放出する判断は妥当なのかという部分を検証したいと思います。
1年目
19-20シーズン(監督:エルネスト・バルベルデ→キケ・セティエン)
バルベルデ期
前シーズン、アヤックスをCLベスト4に導いた活躍を評価され、一気に世界的名手へ駆け上がったフレンキー・デ・ヨング。マンチェスター・シティとの争奪戦を制したバルサは約8500万ユーロの移籍金で将来世界最高の中盤になり得る若手を手に入れました。このディールはかなりバルサにとって大きなもので、先日読書感想文を書いた「バルサ・コンプレックス」にも当時のSDだったペップ・セグラには相当のプレッシャーがかかっていたとの記述がありました。
結論から言うと、1シーズン目はフレンキーにとってフラストレーションの溜まるものとなりました。
開幕戦はアンカーとして先発し、対戦相手のアスレティック・ビルバオのプレッシングの前に苦戦。第2節のベティス戦では左インテリオールで先発。ジョルディ・アルバ、ラフィーニャ(8月の移籍市場で)、グリーズマンと即興で好連携を見せ、5得点大勝に大きく貢献をしました。
しかし、当のフレンキーはベティス戦のパフォーマンスについてこう述べています。
「レアル・ベティス戦は良くなかった。基本的に僕はボールを受ける。僕はビルドアップにおける最初のステーションなんだ。適応する必要があった。オサスナ戦は少し良くなったが、まだ自分らしいプレーはできていない。改善していく必要がある」
(『SPORT』より)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00010008-sportes-socc
上記の通り、「ビルドアップにおける最初のステーション」というのがフレンキーの希望する役割だったわけですが、バルセロナにとってその役割はセルヒオ・ブスケツの聖域。開幕戦の出来が良ければ一気にフレンキーがブスケツにとって代わるシナリオもあったかもしれませんが(現に18-19シーズンバルベルデが最も信を置いていた中盤の選手はブスケツではなくイヴァン・ラキティッチだった)、現実的にブスケツ不在のバルサは考えにくかったのが実情です。
ということで、フレンキーの主戦場はインテリオールで確定します。世代交代を図りたいフロントの意向で前シーズンの主力であったラキティッチは冷遇。フレンキーは、前年頭角を現した同年代のアルトゥール・メロとコンビを組むことになりました。アルトゥールが左、フレンキーが右が基本路線。
当時のバルサはまだ「メッシ・スアレス時代」。守備貢献度が乏しい2人の穴を埋めるために、チーム全体で負荷を背負うことが義務付けられていました。特に負荷が強かったのはメッシの背後をカバーする右インテリオール。ボール非保持時に右に全体がズレて4-4-2に可変するのが当時のバルサのルールだったので、右インテリオールの選手は中央から右にかけて広大なスペースを埋める必要性に迫られたのです。
フレンキーのタスクは「ポスト・ラキティッチ」に留まったのが正直なところ。アヤックス時代の輝きは鳴りを潜め、チームのバランスを保つことに腐心するフレンキーの姿が印象的した。
バルベルデは前半戦と後半戦に行われたスーペルコパの結果を受けて解任。後任にはこれまでスモールクラブを率いてきたキケ・セティエンが就任しました。
セティエン期
セティエンの就任でバルサはポジティブな方向に進むどころか、この数シーズンで最低のチーム状況に追い込まれました。
自称「クライフの信奉者」であるセティエンは自身のトレードマークである3-5-2のシステムを早速採用しましたが、僅か数試合で断念。結局は4-1-2-3に形を戻し、スアレスが長期離脱から戻ってきた終盤戦では「メッシ・スアレス」の2トップシステムに逆戻り。
「バルベルデバルサ劣化版」と成り下がったセティエンのチームが競争力を保てるはずもなく。リーガではマドリーの後塵を拝し、CLでは歴史的な大敗を喫したチームの中でフレンキーもまた苦しみ続けました。
セティエン政権においても主戦場は右インテリオール。スアレス不在のなかで、実質9番のような役割を担ったりもしましたが、彼の特性を活かした起用とは言えなかったというのが正直なところ。
総じて、1年目は年間を通じて試合に出続けましたが、アヤックス時代のような輝きを発揮できませんでした。ただ、彼でなくともバルサの新加入選手は適応に苦しむことがほとんどなので、特段珍しいことではありません。2年目に期待!というところですね、この時点では。
2年目
20-21シーズン(監督:ロナルド・クーマン)
「フレンキーの使い方を分かっていない」そう前監督をこきおろしたロナルド・クーマンは2020年、自身の夢を叶えることになりました。オランダ代表監督の職を辞して、バルセロナの監督に就任したクーマンに期待された事項の1つがフレンキーのバルサでの覚醒を促すことでした。
クーマンはバルサ伝統の4-1-2-3ではなく、オランダ代表で用いていた4-2-3-1を基本フォーメーションとしてを採用。4人のアタッカーを前線に並べ(当時のバルサは編成がめちゃくちゃでアタッカー過多であった)、フレンキーは本来のポジションであるダブルボランチの一角として起用されることになりました。
この変更でフレンキーの2年目はより輝きを伴ったものになるだろうと予想する声もありましたが、実際はそうではなく。アタッカーを4枚並べるフォーメーションにおいて、中盤の選手は実質フレンキーとブスケツの2人。広大なスペースをカバーする必要に迫られたフレンキーは「メッシ・スアレス時代」の前シーズンよりもチームのバランスを保つことに腐心することに。
先述した通り、クラブの編成が悪すぎてアタッカーを多く起用する必要性に迫られたとはいえ、「フレンキーの活かし方って何だったん?」状態。案の定、バランスを崩したクーマンバルサは勝ち点を落とし続け、前半戦は散々な結果と中身に終始します。
また、2ボランチ時代で見えたのがブスケツとの相性の悪さ。自由に動いてボールを引き出したいフレンキーとチームのヘソの位置にどんと構えるブスケツ。一見すると「動」と「静」で合いそうですが、お互いの描いているビジョンが噛み合わず、ビルドアップが機能不全に陥ることも。
フレンキーは所謂「司令塔」のような選手ではありません。パスで沸かせる選手ではなく、どちらかと言えばドリブルやターンのプレス回避に特長がある選手です。身体能力が高い故に独力でできることが多く、バルサのこれまでの中盤の選手に比べるとソリスト気質が強いと言えるかと思います。
そのため、パスのリズムやタイミングが噛み合わない場面は散見され、フレンキー自身もフラストレーションを溜めた表情をよくテレビカメラに抜かれていました。
さて、前半戦で苦境に陥ったクーマンは年明け4-2-3-1を断念して、4-1-2-3にシステムを戻します。
この変更が当たり、バルサはリーガで無双。1月〜2月を無敗で突き進みます。
フレンキーは前シーズンと同じ右インテリオールが定位置となりましたが、タスクが大きく変わりました。
フレンキーは4-2-3-1時代の低いポジションから一転、ビルドアップからフィニッシュまで幅広く関わるオールラウンドなタスクを課され、その圧倒的な走力を存分に発揮しました。特に左からのクロスに飛び込む形で得点とアシストを量産しました。
公式戦で7ゴール8アシスト。フレンキーの仕事場はよりゴールに近いポジションに移ったのです。最前線のリオネル・メッシが自由奔放にボールを受けに下がると共に一気に前線へ。
特に多かったのは左に落ちたメッシからのクロス・スルーパスに反応するフレンキー。メッシとの関係を「受け手」として成立させたことは非常に有効でした。無理が効くので、左からのクロスに対してファーサイドに飛びこんで折り返しやヘディングなどのプレーが目立ちました。
しかし、このチームの変更もビッグクラブには通用せず。セビージャやPSGに完敗を喫してクーマンは再度変更を余儀なくされました。
フレンキーに与えられた新しいタスクは「リベロ」。3バックの真ん中です。本来はピケが務めるはずでしたが、負傷により白羽の矢が立ちました。アヤックス時代にCBプレー経験があったということもあっての起用でした。このポジションでもフレンキーは持ち前のスピードやセンスで才能の片鱗を見せつけました。
特に目を引いたのは後方からの長いドリブルやフリーランニング。3バックの真ん中の選手は対面が相手のストライカーになることが基本なので、ある意味自由に暴れまわれるポジションではありました。
しかし、それでもフレンキーの本来のポテンシャルが全部出し切られている感はありませんでした。活躍度合いでは1年目と比にはなりませんでしたが。
(クーマンバルサのシステム・コンセプトの変遷は以下の記事でまとめてあるのでぜひ!)
長くなったのでここまで。3年目と総括については後編で。
最後までお読みいただきありがとうございました。