大変、大変申し訳ございませんでした。
4月19日、フランクフルトにELで惨殺された4日後。ホームカンプノウでも惨めにカディスに土をつけられた日にとても貴重な、そして嬉しい体験をしました。
なんとあの有名サッカー雑誌「footballista」さんから献本のお話を頂いたのでした。本の名前はバルサ・コンプレックス。
21-22シーズン、1記事も書いていない雑魚ブロガーにとっては身に余るお話でした。ちょっとだけ迷いましたがせっかく頂いたお話、ありがたく頂戴することにしました。言われなくても買って読むつもりだったので、ブログやってて良かったなあと久々に思った瞬間でもありました。
それから読み終えるまでに2ヶ月を要するという失態を私は犯したわけです。
4月末のタイミングで忙しくなったというのが主因ですが、それにしたって時間がかかりすぎました。この記事も速攻で書こうと思っていたのに。。。
この場でフットボリスタさんには謝罪とお礼の気持ちを表したいです。本当に申し訳ございませんでした!そして献本、誠にありがとうございました。懺悔として精一杯書評を書かせていただきます。
概要
多くのバルサについて書かれた書籍と同じように全ての源であるヨハン・クライフの誕生から話はスタートする。バルサを知らない人からしたら驚くかもしれないが、本当にイエス・キリストみたいな扱いをされているのが、バルサにとってのクライフなのである。
著者はサイモン・クーパー。フットボール関係のコラムニストとして著名な人物であり、日本のサッカー誌で彼のコラムを見かけることもしばしばである。
基本は歴史のお勉強。いかにクライフが自らのスタイルを確立し、当時レアル・マドリーの足下にも及ばなかった小さなクラブ、FCバルセロナに持ち込んだか。そして、始祖クライフの愛弟子であるペップ・グアルディオラがいかにバルサを揺るがない世界有数のクラブに仕上げたのか。そしてリオネル・メッシという不世出の天才が数々の相手チームと同じように、バルサというクラブを「破壊」してきたのか。そのストーリーを本書ではさらうことができる。
戦術的な内容がメインではなく(そういうものを望んでいる方にはバルセロナ戦術アナライズなどをおすすめします)、バルセロナというクラブの歴史をなぞりながら多面的に書かれているのが特徴である。
本書のポイントとして挙げられるのは、クラブのファンでも、番記者でもないサイモン・クーパーによる第三者視点でFCバルセロナというクラブが500ページ超に渡って語られていることではないだろうか。歴史、戦術、文化、育成(ラ・マシア)、そして政治について。
例えば、2015年に日本でも出版された「PEP GUARDIOLA キミにすべてを語ろう」(東邦出版)のマルティ・パラルナウのように丸々1シーズンチームに帯同して取材をした、というものではない。そのため、ここ数シーズンのバルセロナを真面目に追ってきたファンにとっては「えええええ、あの時のあんな決断にこんな真実があったなんて…!」みたいな純粋な驚きは生じにくい。昨今のサッカー関連の本にありがちないわゆる「暴露」のようなものもほとんど見られない。
直近でバルセロナというサッカーチームを好きになった、または興味を持っている人は必読である。これを読めばFCバルセロナがどのような構造のクラブになっているかの概要を掴むことができる。そして、なぜバルセロナが現在のような状況に追い込まれたのかも理解できるはず。
長く追っているファンにとっては新鮮な驚きがあるわけではないが、第三者視点でよく整理されているため、読むことを推奨したい。クラブの30年間を振り返るにはうってつけである。
感想
言い訳を重ねてしまうようだが、正直読み始めるのに抵抗があったことは否めない。表紙には躍動するクライフとピッチで俯くメッシの姿がコントラストのように配置されている。決してバルサを愛する者にとって都合の良いことが書かれていないことは明白であった。
読み終えた最初の感想は、「どっと疲れた。」であった。読み始めてから終えるまでは実際の時間軸では早かったが、何週間も読み続けている感覚さえあった。
誤解を生みそうな表現ではあるが、バルサは「世界一面倒なサッカークラブ」だと思っている。「Complex」という単語がまさに相応しい。純粋なスポーツ面だけではない。文化・政治・哲学、そしてビジネス。様々な要素が複雑に絡み合うことで、バルサというクラブチームは成り立っている。10年以上このクラブのファンであるが、未だに極東の1ファンにとっては理解しがたいことが多い。
バルセロナは2022年現在、世界で最も有名なクラブの1つである。現代のブランド力を測る重要な指標の1つである、Instagramのフォロワー数はレアル・マドリーに次いで2位。サッカーに興味がなくても「バルサ」っていうのは聞いたことがある!という日本のファンも多いのではないだろうか。
しかし、100年を超えるクラブの歴史の中で、バルサが欧州王者に輝いたのは僅かに5回。最多優勝を誇るレアル・マドリーの半分も優勝していないのが実情なのである。しかも内4回は2006年から2015年の10年間にもたらされたものなのである。
近年欧州サッカーを好きになった立場からすると(かく言う僕も通算3度目のCL優勝を果たした08-09からのファン)、バルサは強くて当たり前の認識だが、実際欧州レベルで本物の競争力がついたのは今世紀に入ってからの話なのである。歴史の軸で考えると、本当に強くなったのはロナウジーニョの到来から。その認識があるかないかでバルサへの見方は変わるだろう。
後の黄金期の土台を作ったのがクライフであり、その意思を受け継いだペップ・グアルディオラの元にカンテラ市場最高傑作の選手たちが集まった。2度の欧州王者に輝いたペップのチームはまさに奇跡と呼んでさしつかえないレベルの代物だった。
「奇跡」の代償は大きかった。ダメを押したのは14-15の5度目の優勝。サイモン・クーパー氏が指摘するように、この時点でバルセロナはカタルーニャの文化・政治的なシンボルから、世界的に常勝を求められるメガクラブへと完全に変貌を遂げたのである。
成功は「カンテラ?哲学?いやいや、一番は勝つことでしょ。」という方向へ導く一番の原因となった。2014年から始まったバルトメウ会長政権が売り上げ大幅増という名目の元、クラブの伝統やスタイル、ついでに財政も破壊し尽くしたのは、バルセロナというクラブが地元クラブとしての性格と結果を求められる世界的「企業」としての立場のバランスが取れなくなった成れの果てであった。
「1-0で勝つなら、2-3で美しく敗れたい」とはクライフの言葉であるが、どんなに美しくあったとしても最早敗れることはバルセロナには許されないのである。
「FCメッシ」
これが本書の大きなテーマである。奇しくも、僕が3年ほどブログで書いてきたのもFCメッシの物語である。下記は2019年にブログ始めたての時期に書いたものである。バルセロナとメッシの関係は語るには十分すぎるほどのテーマであった。www.footballhikota.com
FCメッシというのは、単純にピッチ内のメッシへの依存度の高さを示した言葉ではない。サイモン・クーパーがこちらも指摘しているように、メッシの存在感はピッチの外まで及んだ。年々父親の影響で増していく年俸と、クラブの編成を左右するほどの発言力。一部で言われているような「メッシが補強選手を決めている」まではいかないだろうが、メッシの顔色を伺いながらクラブが編成を決めていたという話は十分に信ぴょう性がある。
メッシはバルサにとっての一種のバグである。「クラブ以上の存在」であるはずのバルセロナよりも上位の存在としてメッシはバルサに君臨した。クライフの設計ではこれほどの選手の存在は計算されていなかったはずである。「クラブの哲学<メッシ」の不等式が成立させるほどに特別な存在であった。
メッシの存在が(特に2010年代後半の)チーム作りを難しくしたことは否定のしようがない。メッシを最大限に活かすことに注力した結果、バルセロナは独自のスタイルを失い、結果他のチームに後れを取る「オールドファッション」なチームへなり下がった。ペップ・グアルディオラ時代に世界中のどのクラブをもリードするチームであったにも関わらず、である。
19-20のバイエルン・ミュンヘン相手の歴史的大敗はその代表例である。ボールを保持し、全員でプレッシングをかけて試合を支配する様はまさにバルサが目指すスタイルそのものだった。自分たちがやりたいサッカーで大量8失点の敗北。屈辱以外の何物でもない。
もしかすると、「バルサ・コンプレックス」を手に取った人の中にはこのような感想を抱いた人もいたかもしれない。
「メッシを早めに切っていれば、バルサの状況は今もっと良かったのではないか」
当然の考えである。サイモン・クーパーもどちらかと言うと本の構成上、リオネル・メッシという選手が持つ特異な負の面にスポットライトを当てている。確かにそうかもしれない。メッシがいなければ、と思ったことはメッシ信者の僕ですら何度かある。
だが、「バルセロナがメッシを手放す」ことはあり得なかった。当然である。史上最高の選手を手放せるはずがない。
他にやり方はあったのか
僕は今、エレン・イェーガーと同じ気持ちである。
他のやり方は、多分なかった。バルサでなければ、メッシはここまでの存在になっていなかっただろう。そして、メッシがいなければバルサはここまでのクラブになることはなかった。
3年ほど前、バルサ好きの友人と会った時。彼がポツリと呟いた。「正直、もうメッシは十分やねんけどなあ。もっと組織的に機能するバルサが見たい」と。多分、バルセロナというクラブをサポートする立場としては絶対的に彼が正しい。でも、その言葉を肯定することは当時も、今も、僕にはできない。
最後の別れは極めて残酷なものだったが、それでもリオネル・メッシという選手がバルセロナというクラブとそのファンにもたらしたものの大きさは計り知れない。結末を知っていたとしても残留を望んでいた、と思う。多くを犠牲にする価値は十分にあった。
改めて、「バルサ・コンプレックス」を読んで思ったこと。バルサというクラブは複雑だからこそ、そのストーリーが面白い。「何でだよ!!」って突っ込みを入れたくなることのほうが圧倒的に多い。だからこそ、魅力があるのだと思う。
「FCメッシ」の物語はまだ終わっていない。これまで依存しきっていた選手を失ったバルセロナは21-22シーズン、チャンピオンズリーグで21年ぶりのグループステージ敗退を喫する。厳しい財政状況も相まって、バルサが10年前の水準まで地位を戻すには厳しい道のりが待ち受けている。負の遺産はこれからもバルサを苦しめ続けるだろう。
しかし、バルセロナを正常な状態に戻すことのできる役者は既に指揮官の座についている。シャビ・エルナンデス。メッシと共に4度のCL制覇を成し遂げたバルサイズムの信奉者が、FCメッシを本当の意味で終わらせ、クラブを復権に導く。こんな筋書きになったら、言うことはない。
1年目で成果は出なかったが、兆しはあった。シャビバルサがバルサの歴史の中で光り輝くことを願ってやまない。
footballistaさん、本当にありがとうございました!
読み返してみたら書評になっているか怪しいですが。。。
皆さん、是非読んでくださいね!!
最後までお読みいただきありがとうございました。